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3月2日投稿の田中様へ

 投稿者:重松正一メール  投稿日:2009年 3月21日(土)08時02分24秒
  歩兵第23聯隊(明9019)、歩兵第72聯隊(旭1128)、いずれの部隊とも宮崎県都城編成の部隊です。満州におられたそうですが 本籍は宮崎県の方ではないでしょうか。
23聯隊は第6師団(明)傘下の部隊でブーゲンビル島で戦闘、72聯隊は第23師団(熊本兵団
戦時号 旭)傘下でルソン島北部で苦闘 死闘するも400名が生還と記録にあります
ご英霊はルソン島で戦死とありますが 72聯隊の可能性は大です
いずれにしても お二人の軍歴を調査されることをお勧めします
宮崎県健康福祉環境部あて(都道府県により若干名称が異なる)調査目的を明示の上、文書にて照会してください
72聯隊は宮崎県の郷土部隊故に 関係者も同地方に集中しており おそらく戦後
部隊遺族会なども存在したのではないでしょうか、今となっては遺族会も解散していると
思われますが 宮崎県の護国神社に照会されるのも一手段です
 
 

祖父の事を知りたい

 投稿者:田中広宣  投稿日:2009年 3月 2日(月)12時28分36秒
編集済
  老人ホームにいる父から祖父(田中種登美)は、弟の田中久という人と宮崎県都城で招集を受け、フィリピンルソン島で昭和20年4月に38歳で戦死した。伍長だった。という事しか聞かされていませんが、どなたかご存知の方がいらしたら情報下さい。たぶん、都城歩兵23連隊か72連隊に所属していたと思うのですが、、田中久という人も同じ所で戦死(当時23歳)したと聞かされたのですが、、その人の情報もご存知の方がいらしたらお知らせ下さい。祖父が召集された当時に父は6歳で、行進している所しかおぼろげに覚えていないと話していました。その父も戦争の事をあまり語りたがらないのですが、満州で親切な中国人に日本人という事を隠してもらい、引き上げ船に乗せてもらえる事が出来たから日本へ帰れてお前も生まれて生きられているんだ!と聞かされました。  

県下の未収遺骨?

 投稿者:林 幸三メール  投稿日:2009年 2月 2日(月)12時03分38秒
  和歌山県下の未収遺骨の実態を
ご存じの方はお教えください。
 

重松さま

 投稿者:吉田  投稿日:2008年12月20日(土)20時00分22秒
  重松さまの御厚意に感謝いたします。
実は私自身の調査は完全に手詰まり状態で、諦めかけていたところでした。
祖父は宮崎県人でしたので間違い無いですね。
うまく文章にする事が出来なくてもどかしいのですが、
重松さまには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
 

1年前の吉田様へ

 投稿者:重松 正一メール  投稿日:2008年10月18日(土)05時18分39秒
  10642部隊の投稿に気付き、その後お分かりになったかも知れませんが、回答致します。
第103師団(駿)傘下の独立歩兵第176大隊(駿10642)のことで、米軍がルソン島リンガエン湾に
上陸後カガヤンで迎撃、キヤンガン(山岳地帯)で持久戦を展開、資料では宮崎県都城
編成とあり 同地方の出身者が多いのではないでしょうか。坂本隊とありましたが
属した中隊長の名前から○○隊と称していました
ルソン戦記は詳しくはありませんが この地域には2度巡拝しました。
 

永川様へ

 投稿者:重松 正一メール  投稿日:2008年10月16日(木)06時58分24秒
  ①日本遺族会の巡拝団〈正式には慰霊友好親善訪問団)は遺児に限り且 生涯に一度しか
参加できません。HPで現在募集中です。遺児ということで特別に厚遇していると考えます
②厚労省の巡拝は戦没者の兄弟姉妹も参加可能です。
①の場合同じ境遇の遺児の皆さんですから 直ぐに親しくなり帰国後も私の知る限り全ての班が毎年同窓会を開催しています。②場合は参加者名簿も出身県名と氏名のみで部隊名すら書いてありません。巡拝中の接触のみでその後の交遊はありません
ジャワ派遣第10399部隊とは正式には「特設建築勤務第29中隊(治10399)」のことで
ジャカルタに駐屯していた第16軍傘下の兵站部隊(後方部隊のこと)です。7884部隊は判りませんが前後の部隊番号から同系列の部隊と思われます
何れにしても①②に参加されるとお父上の部隊戦史資料を個別に調査して提供してくれます。

http://www.sakai.zaq.ne.jp./hohei13/index.html

 

10月14日ご投稿の重松様へ

 投稿者:永川道生メール  投稿日:2008年10月15日(水)20時55分6秒
   ご返信ありがとうございます。
慰霊巡拝の費用は国の厚労省所轄のものが53万円、20万円と高額なのに、遺族会のものはどこへ行っても、なぜ10万円で出来るのか不思議なので詳細を知りたいです。
墓に遺骨も無い遺族としては、生きている間に一度は親の戦死した場所か、戦地でもいいですから出かけて行って追悼したいと思い続けています。
「平成20年度政府派遣インドネシア慰霊巡拝」では、宿代も各自が寝巻き、洗面具持参の相部屋でも13,200円から16,500円と高価なホテルですし、食事も毎回市中のレストランで昼食3,300円夕食は4,400円と高額です。遺族の参加者14名には、厚労省外事室職員2名と旅行社の添乗員1名付です。役人の費用はすべて国民の血税ですし、諸々の経費を合わせると多額の税金が使われます。国のために戦って死んだ親達の供養のために、戦後は苦労して生きてきた遺族が行く慰霊巡拝なのにと思うと違和感があります。
 私の父親の消息は、亡母が仏壇に残してくれた軍用葉書に「南方派遣第7884部隊橘中隊」と「ジャワ派遣第10399部隊」の2枚だけです。戦死した場所は、戸籍謄本ではインドネシアの「スンパワ島」になっています。
親達の戦中や戦死時のどんな事でもいいですから分かれば大変ありがたく思います。
 何卒よろしくお願い申し上げます。
 

10月13日投稿の福田様へ

 投稿者:重松 正一メール  投稿日:2008年10月14日(火)22時19分52秒
  ご英霊  福田正吾様について
①東部36部隊とありますが この部隊は宇都宮市にあって周辺地域の召集兵は全てこの部隊に一旦入隊しそこから前線の各部隊に配属されました。いうなれば 栃木県出身者の内地
日本の留守部隊ということです
②レイテ島リモンにて戦死とありますが この場所で戦闘したのは第1師団(玉師団)です
③孫呉とありますので ここで駐屯していたのは第1師団で19年8月にレイテ決戦に転戦
しています。以上から先ず間違いなく第1師団であろうと思いますが 栃木県庁でご英霊の
軍隊経歴を問い合わされることをお勧めします 第1師団は レイテ参戦部隊のうち唯一
セブ島に700名近くが転進し生還者も多く 戦史も判明しています

http://www.sakai.zaq.ne.jp./hohei13/index.html

 

10月10日の永川さまへ

 投稿者:重松 正一メール  投稿日:2008年10月14日(火)21時43分33秒
  ②の3分1 自己負担と記述しましたが間違っていました。 厚労省が3分1で 自己負担が3分2負担です大変失礼しました。それにしても総費用が高額でびっくりしました。私はフイリピン戦線の遺族ですが この厚労省の場合は自己負担は20万円程度です。
インドネシアとありますがお父上は ビルマ戦線の何と云う部隊ですか。部隊名が判れば
遺族仲間に問い合わせしてみますが
①の日本遺族会は遺児で生涯一度の制限があり この制度が発足して15年程になりますが
自己負担は10万円のみです。但し出発空港までの旅費 前泊ホテル代も自己負担です
日本遺族通信の機関紙や、最寄の遺族会、遺族会のHPでも公開記述されています。
私の名前でHPもあり、慰霊活動関連は随分と投稿しています
遺児 遺族の皆さんのお役に立てばと 活動しておりどうぞ遠慮なくお申し出でください

http://www.sakai.zaq.ne.jp./hohei13/index.html

 

祖父の弟2人のことを知りたい

 投稿者:福田メール  投稿日:2008年10月13日(月)21時28分37秒
  10年前に亡くなった祖父には、戦死した弟が二人いたそうです。祖父が生きている間にあまり話を聞けていなかったので詳しいことがわかりません。もし、二人のことを少しでもご存じの方がいたら情報をください。また、戦死した人のことを調べる方法もお教えください。
栃木県大沢村出身 福田仁
墓碑には、昭和18年7月10日から9月14日までサラモア付近の戦闘に参加。8月7日 ニューブリテン島ツルブにおいて戦死とあります。
(8月7日ニューギニア ジヤボフ付近の戦闘にて戦傷死との公報もあります。)
福田正吾 昭和19年3月20日東部36部隊飯沼隊に応召 昭和19年11月15日比島レイテ島リモンに於いて戦死 22歳 陸軍兵長
(こちらは、祖父の葬儀の後に仏壇を整理していて初めて知りました。家族の中には、もう知るものがおりません。孫呉にてという写真や哈爾浜郵便局の証書?などが残っています。)
 

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